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ニューヨークからの手紙 −1− 心のバリアフリー   “理解し合う努力が必要”


音楽活動以外に、最近は講演を頼まれることが増えてきました。依頼先は学校、ボランティアグループ、障害者団体、企業などさまざまです。講演のテーマはいろいろですが、一番多いのが日本とアメリカにおける障害者の社会参加事情やバリアフリーの違いについてです。このようなテーマについての講演依頼がある時、僕は心のバリアフリーの大切さを語ることにしています。

日本ではバリアフリーという言葉が社会に定着しているように思えます。いや、言葉だけではなく、公共の交通機関や建物、住居、日常生活に使われる電気器具や通信機器などに障害者や高齢者が使いやすくなっているものをよく目にします。日本にバリアフリーという言葉が輸入されたのは、それほど昔のことではないはずです。しかし、かなり早い速度で社会が対応しているように思えます。

僕が暮らすニューヨークではどうでしょうか? こちらにはADA(アメリカ障害者法)が10年前にできました。確かにこの10年、歩道の段差をなくす工事や、地下鉄の駅にエレベーターを設置する工事も行われています。しかし、10年たっても、日本と比べると、これらの工事のスピードは遅く、まだまだ段差のある歩道や、エレベーターのない駅はたくさんあります。かといって、障害者が街に出ている数は日本より少ないわけではけっしてありません。

ここで僕が訴えたいことは、ハード(物理的なバリアフリー)に対して、ソフト(心のバリアフリー)の大切さです。ハードの部分の発展も非常に大切ではありますが、ソフトの部分のバリアフリーが重要なことも忘れてはなりません。ニューヨークはハードの部分で日本に遅れをとっているかもしれませんが、ソフトの部分では進んでいると、僕は思います。
 
僕はニューヨークに暮らし始めて20年になります。たとえばマンハッタンで助けが必要になった時、声をかけるといきなり何人もが立ち止まってくれたり、横断歩道を渡ろうとすると「一緒に渡りましょうか?」と手を差し伸べられることもよくあります。日本でもこのようなことはないとは言えませんが、ニューヨークのほうがはるかに多いと思います。

なぜでしょう? 理由はいろいろあるでしょうが、ぼくの経験から言わせてもらえば、日本では人前で誰かに対し、良い行ないをすることはけっこう恥ずかしいし、勇気がいりませんか? 
ニューヨークの地下鉄に乗った時、子供連れのお母さんがその子にぼくに席を譲るように言いました。そして席を譲ったその子を誉めました。その子は視覚障害者に席を譲ることは良いことだと学び、その後も続けると思います。
 
日本人にも他人のために良いことをする気持ちはあるでしょうが、どうしていいかわからない、恥ずかしい、勇気がない、そんな理由で行動に移せない方も多いと思います。ここで大切なのは、教育です。教育なんていうとおおげさに聞こえるかもしれませんが、日常生活の中に学ぶ機会はたくさんあります。

これは健常者の人たちだけに障害者が一方的に要求するだけではなかなか難しい。障害者側も同じよう、健常者の立場になって理解し合う努力が必要ではないでしょうか? 僕は講演に行き、視覚障害者のことを少しでも理解してもらおうと思うとともに、健常者の人たちの障害者に対する考えも聞かせてもらうことで学んでいることがたくさんあるのです。


(毎日新聞社点字毎日2003年1月9日掲載。禁無断転載)