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ニューヨークからの手紙 −2− 目が見えなくなって一番良かったこと  先入観が差別意識につながる


今回は講演に行った時の体験をいくつかお話ししたいと思います。ニューヨークの小学校で4年生の担任をしている僕の友人に、学校に来て子供たちと話をしてほしいと頼まれました。30人ほどの生徒の前に立ち、まずは自己紹介から始めました。

「僕は日本人でミュージシャン。まったく目が見えなくて、今ひとりでニューヨークで暮らしています」。こんな簡単な自己紹介をしたあと、先生が生徒に「ミスター加納に質問がある人?」と聞くと、何人かが手を挙げました。先生がひとりの生徒を当てると、その生徒が先生に向かって「ミスター加納は.....ですか?」と僕に直接聞こうとしません。そこで先生が、その生徒に「ミスター加納と呼びかけて、直接話をしなさい」と言いました。すると、その生徒は直接僕に質問をしてきました。きっとその子も視覚障害者と話した経験がなく、僕と話すことに戸惑いがあったのでしょう。
 
彼との会話が終わると、他の生徒たちも次々と話しかけてきました。はじめのころの質問は、当たり障りのないこと、たとえば日本製のコンピューターゲームのことや和食のこと、音楽のことなど。そんな話がしばらく続き、ひとりの生徒がやっと視覚障害について質問をしてきました。そのあとは、次から次へと手が挙がります。きっとみんなこのことが一番聞きたかったのに、どう聞いてよいかわからなかったのでしょう。
 
それにしても、子供の質問は実に素晴らしい。先入観を持たず、ストレートに疑問をぶつけてきます。「ここまでどうやって来たのですか?」「服はひとりで着られますか?」「シャワーはどうやって浴びるのですか?」「杖を使って歩くところを見せてほしい」などなど。僕がそんな子供たちの質問に対して、冗談を交えながら答えるやりとりが1時間も続くと、すっかりみんなと打ち解けることができました。

そんなころに先生が、「ミスター加納をカフェテリアに案内したい人?」と生徒に呼びかけると、全員が手を挙げ、僕の取り合いになりました。きっと子供たちは、さっき覚えた視覚障害者の手引きの仕方を試したくてしょうがなかったんでしょう。二、三歩歩くと、次の生徒に交代しなければならないほどでした。あとで先生が子供たちの書いた感想文を読んでくれましたが、そのほとんどが視覚障害者にはじめて触れ合ったことへの思いがつづられたものでした。

日本のある小学校で、生徒にこういう質問をされたことがあります。
「目が見えなくなって一番良かったことは何ですか?」
大人だったら絶対にたずねない質問だと思いませんか? 僕もそれまでこんな質問は受けたことがありませんでした。その時はうまい答えが見つからず、「一緒にいる友達のみっともない顔を見なくてすむ」などとバカな冗談を飛ばして、その場をごまかしてしまいましたが、その後、真剣にこの質問に対する答えを考えてみました。僕は、まだまだ人種差別のあるアメリカに住んでいます。そんな中で僕は、目が見えないからこそ、肌の色などを気にせず、相手をひとりの人間として見て付き合える。このことだと気づいたのです。

人種差別が起きる原因は簡単にひとことでは言えませんが、ひとつには先入観を持って相手を見てしまうことではないでしょうか? 「○○人はああだ、こうだ」とかいう話はよく耳にしますが、みんな同じ人間です。先入観を持たず、僕に質問をしてくれる子供たちは障害者差別や人種差別の心などないのではないでしょうか? 差別の心のバリアフリーのためにも、同じ人間としての触れ合い、話し合いが必要ではないでしょうか? 


(毎日新聞社点字毎日2003年2月20日掲載。禁無断転載)