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ニューヨークからの手紙 −4− スーパーバイザーのクロニンさん
“社会参加、まずは最初の一歩から” メリー・エレン・クロニン(Mary Elen Cronin)さんは、ニューヨークの知的障害者施設でソーシャルワーカーのスーパーバイザーとして働く全盲の女性です。ニューヨーク生まれの彼女は、未熟児で生まれ、8歳の時に視力を完全に失いました。彼女はニューヨークにあるラベル盲学校に入学し、高校を卒業するまで盲学校で教育を受けました。 当時は、ほとんどの視覚障害者は盲学校で教育を受けていました。彼女のまわりでも何人かの視覚障害者が普通学校に入学しましたが、今ほど統合教育のシステムが整ってはいませんでした。「私は盲学校に行って良かったと思っています」と彼女は語ります。 高校卒業後、大学に進み歴史を専攻。大学に入っ大変だったことは何かと聞くと、「盲学校時代は点字の教材を自分で読んでいました。大学に入ると点字の教材などはなかったので自分で準備するか読んでもらうしかなく、勉強の仕方の違いに慣れるまで大変でした。それにコンピューターのない時代です。30〜40ページのレポートをタイプして教授に提出したら、タイプライターにインクが入っていなかったため白紙だった、なんてこともよくありました。慣れないことだらけで、よく泣いていました」。 健常者の学生との人間関係についてたずねると、「健常者とか視覚障害者とかいうよりも、みんな18歳くらいで大学で初対面の人たちが一緒に勉強するわけですから誰にも戸惑いはあったと思いますよ。私は高校時代までけっこう保守的で、静かな性格でしたから、大学の最初の学期は学生仲間と飲みに行くこともなく勉学に励んで、オールAを取りました。でも、2学期からはクラブ活動にも参加するようになり、仲間とパーティーへ踊りにも行くようになりました。おかげで成績はちょっと落ちましたけどね」。 大学3年の時、彼女はアイルランドに1年間留学し、アイルランドの歴史を学びます。彼女の家族の母国でもあるアイルランドに留学できたことは、彼女の人生にとって素晴らしい体験だったと言います。帰国した彼女は大学を卒業し、大学院に進み、ソーシャルワークを専攻。卒業してまもなく現在の施設での職を得、今年で23年になります。職場は彼女以外、職員もクライアントも晴眼者です。 「はじめはクライアントより職員の人たちのほうが私のことを心配していたみたい。知的障害者のめんどうをみるわけですから、着替えや歯磨き、トイレなど日常生活のヘルプから、時には暴れる人を押さえ付けなければならないこともあります。職員の人たちが心配したのもむりはありません」。 彼女の両親は「何でもいいから仕事をしなさい」といつも言っていたそうです。「私の知り合いにハーバード大学で法律を勉強し、弁護士の資格を取った視覚障害者がいます。でも彼は一度も仕事をしたことがないんですよ。彼の両親も、『目が見えないのだから仕事はしなくてもいい。安い給料で働くなら、障害者年金をもらっていたほうがよい』という考えなんです。こういう考えの親や視覚障害者は多いんですよ。それに現実をしっかり見られない障害者も多いですね。私はピアノも歌も好きで、長くレッスンを受けていましたが、プロになれないことはよく知っています。しかし、ほかにできることがあります。こんな簡単な現実も見られない人も多いんですよね」。 先月ご紹介したリリー・ジャカニンさんと今回のメリー・エレンさんは、普通学校、盲学校という違った環境で学んでいますが、二人に共通していることは、はじめは期待どおりの仕事や社会参加ができなくても、社会に出ていくということが大切であり、そこで努力することで周囲に認められ、一人の人間としてりっぱに生きていける、ということではないでしょうか? (毎日新聞社点字毎日2003年4月24日掲載。禁無断転載) |