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ニューヨークの日系コミュニティ情報マガジン、 コロンの1996年5月号から1999年1月号に連載された、加納 洋によるインタビュー記事をご紹介します。
記事の大半は対話形式になっております。テキスト読み上げソフトのIBM Homepage Readerをご利用の方が発言者を容易に特定できるよう、加納 洋が発言したテキスト部分は男性、ゲストが発言したテキスト部分は女性の声で読み上げさせるため、テキスト全体にリンクが貼られています。このテキスト部分をクリックしてもリンク先のページは存在致しませんので、予めご了承ください。
わたくし、生まれも育ちも岐阜県中津川。
姓を加納、名を洋。
人呼んでフーテンの洋と申します。
なんて、寅さんのセリフを借りて自己紹介してしまいました。
僕は寅さんの映画の大ファンです。
皆さんも一度や二度は、ご覧になったことがおありでしょう。
中には、下らないと思われる方もいるでしょうが、見終わった後、なんだか心が平和になるような気がしませんか。
本を読んでそういう気分になる方もあるでしょう。美術や音楽に触れて、それを感じる方もあるでしょう。
このコーナーでは僕の出会った、なんだか楽しく幸せな気分にしてくれる、魅力的な人達をご紹介していきます。
コロン1996年5月号
ジュピター交響楽団の指揮者であり生みの親でもある
ジェンズ・ナイガード氏
今年(1996年)の2月の半ば、友達に誘われて、マンハッタンのウエストサイドにある教会に行きました。キリスト教徒ではないので、ミサに行ったわけではありません。リンカーンセンターの近くにあるグッドシェパード教会で行われた、ジュピター交響楽団のコンサートに行ったのです。プログラムはチェルニーの作品。僕もピアニストの端くれなので、チェルニーと言えば、ああ、あの教則本で有名な、と思い出すのですが、交響曲やピアノ協奏曲を作曲していたとは、知りませんでした。プログラムにも惹かれましたが、前々からジュピター交響楽団に、いや、このオーケストラの指揮者であり生みの親でもあるジェンズ・ナイガード(Jens Nygaard)さんに興味があったので、平日の昼間だったのですが、グッドシェパード教会に聴きに出かけました。
期待どおりの、見事な演奏でした。素晴らしくタイトなストリングスセクション。豊かな表現力。楽器やオーケストラに対し英語では賞賛の意味でスピーク(Speak)という表現を使います。この演奏はまさにスピークしていました。ナイガードさんの豊かな感性と、それを楽団員に伝える才能がとても優れているのです。
コンサートからの帰り、機会があればナイガードさんとお会いして、話をしてみたいと思いました。さっそくコンタクトをとったところ、申し出は快く受け入れられました。
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加納
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ナイガードさん、あなたは何歳の時、指揮者になろうと思いましたか?
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ナイガード
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私は4歳か5歳の頃、お母さんの裁縫箱からボタンをいっぱい出してきて、机の上に並べてオーケストラをつくり、指揮をしていた。だから、その頃から指揮者に興味があったと思います。
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加納
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それは面白い。僕も子供の頃、麻雀牌を使ってオーケストラをつくり、それに向かって指揮をしていました(笑い)。
ナイガードさんは2歳半の時父親からクラリネットを教わったそうです。その後、ハープ以外の楽器は、全てマスターしたそうです。
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加納
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ナイガードさんのお父さんはクラシックの演奏家でしたか?
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ナイガード
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父はヨーロッパでは交響楽団にいました。アメリカに来てからは、それに加えて、マーチの作曲で有名なジョン・フィリップ・スーザのバンドや、ビルボードショーで演奏していました。
私は父の影響でいろんな音楽が好きになりました。ブルーグラス、ジャズからバッハ、モーツアルトまで。私はクリントン大統領と同じアーカンソー州出身ですが、ニューヨークに来る前、ダラスにいました。
その時、ダンスバンドもジャズバンドも、交響楽団も教会のオルガン奏者もやりました。いろんな楽器をマスターし、いろんな楽器を演奏することで、指揮者になろうという気持ちが、自然に起こってきたのだと思います。
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加納
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じゃあ何故、ジュリアード音楽学院で指揮科に入らず、ピアノ科に入られたのですか?
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ナイガード
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あれは私にとっては、最も不幸せな時代だったかもしれません。
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加納
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ジュリアード音楽学院のピアノ科で勉強できるなんて、素晴らしいことじゃないですか。なぜ幸せじゃないのですか?
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ナイガード
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私は指揮が勉強したかったのに指揮科に空きがなく、ピアノ科にしか入れなかったのです。
それに、音楽学院はまるでソーセージマシンのような役割しか持たせないものです。教員は学生を狭い世界に閉じ込め、同じ形に仕上げて卒業させる。そこにはひとりひとりの才能を伸ばすとか、もっと人間的な教育をするなんて発想はありません。私の才能は、もっと広範囲にわたっていたはずです。しかし学院で勉強できたのは、ピアノだけでした。
と、音楽教育の制度を残念そうに語るナイガードさんは、その後、独学で指揮を学んだという。彼のキャラクターは幼い頃からユニークだった。2歳半から父親に教わっていたクラリネットを、10代になると2本同時に演奏し、コンテストで優勝したこともある。決勝を争った強敵は、トランペットとピアノを同時に演奏したそうだ。
また、ジョージ・ガーシュイン作曲のラプソディー・イン・ブルーで、クラリネットソロを吹いた後、すぐにピアノに着いて演奏を続けたこともあるそうだ。
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加納
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指揮者になるために一番必要なものはなんだと思いますか?
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ナイガード
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いい指揮者になるためには、立派な精神が必要です。これを学ぶのはなかなか難しいです。
私はオーケストラをリードします。しかしメンバーたちは私のロボットではないのです。彼らのクリエイティブな才能を、私は最高までに引き出したい。必要とされるかぎり、私は常にそこに居ますが、必要とされない時は、彼らの邪魔をしない、というのが、私の指揮者としての哲学です。そうすることでメンバーが喜びをもって演奏に参加でき、美しい和音が開花するのだ、と考えています。
さらに、指揮者として、より高い芸術性を目指し、それをメンバーに示すことで、メンバーが気持ちよく自由に演奏できる環境を整えるのです。
同時に、私が目指しているのと同じゴールへと、メンバーをリードしていかなければならない。メンバーが自由に演奏していても、そこには楽団としての、一つの強い個性が現れてこなければならない。どんなオーケストラでも、メンバーが自分のスタイルで勝手に演奏したら、消化不良のサウンドになってしまいます。
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加納
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ジュピター交響楽団を聴くと、ナイガードさんのおっしゃること、よく分かります。どのようにその精神的な部分を学ばれたのですか?
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ナイガード
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私は幼い頃から、人の役に立つ職業につきたかった。牧師とか、医者とか。昔から、いつも人のために心を開こうとする性格があったのです。これが指揮者として必要な精神性を高める大きな要因だったと思います。
これは学校では学べませんね。それどころか、ジュリアードを始めとする音楽学校は、まるで独裁者でも作りたいかのような教育をしている。だから指揮棒を手にした指揮者というのはよく、会社で見かける年とった意地悪な上司と同じようにふるまう。こんなことを言うと、お笑いになるかもしれませんが、指揮者の多くが必要とするのはオーケストラではなく、精神科医です(笑い)。彼らはなんとしても権力を持ってオーケストラを従わせたい。それも自らのエゴを満足させるためだけにです。これはもう、病気ですよ。
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加納
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以前、トスカーニが指揮するNBCオーケストラのリハーサルテープを聴いたことがあります。トスカーニがメンバーを異常なほど馬鹿にしたり、叱ったりしていました。
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ナイガード
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トスカーニは音楽的に素晴らしい才能を持った指揮者です。しかしメンバーがミスを犯すことをいつも恐れているため、オーケストラの音は固くなる。これをベストとは呼べないでしょう。
私はいつもメンバーを抱きかかえて迎え、リハーサル中はジュースやコーヒーを飲みながら、友達としての人間関係を保っています。しかしひとたび指揮台に登れば、みな私を指揮者として尊敬してくれます。オーケストラの中でヴィオラを弾くときは、私は一楽団員として指揮台上の指揮者を尊敬します。
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加納
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ナイガードさんは昔から人のために役に立ちたいと思っていたそうですね。その精神は音楽家にとって不可欠と、僕もそう思います。
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ナイガード
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自分の狭い世界でエゴイスティックに閉じこもる人より、他人に思いやりを持てる人間的な人を、音楽家としても尊敬します。
例えばビバラッチ(ピアニスト/エンターテイナー)は、若い人たちに何百何千という奨学金を与え、音楽会に大きな貢献をしました。それにひきかえバーンスタイン(作曲家/指揮者/ピアニスト)は、素晴らしい才能と力があったのに、それほどの貢献をしていない。彼ほどの人物なら、音楽界にもっと貢献できたはずです。
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加納
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ナイガードさんの指揮とジュピター交響楽団の演奏に感激し、幸せな気分になり、ナイガードさんたちに心から感謝している方たちも多いでしょう。どんな反響が観客から返ってくると嬉しいですか?
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ナイガード
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演奏がつまらないときはブーイングしていただいてもかまわない。クラシックのコンサートだからといって観客の皆さんが従順な聞き手である必要はない。例えば、交響曲の第1楽章が終わったときに拍手したっていいと思う(普通は第4楽章が終わるまで拍手はしないことになっている)。自然なリアクションであれば、何でも良いと思います。
観客とオーケストラの間にできやすい壁を、私は壊したいのです。グッドシェパード教会でジュピター交響楽団が演奏するときは、教会の中央にステージを造ります。これに10時間はかかるのですが、その価値はあるのです。あの方が観客の皆さんにより近く、人間的なつながりができやすいと思うのです。
そう、壁と言えば、おもしろい話があります。何週間か前、友人たちが数人、自動車ショーのためニューヨークにやってきました。私は彼らをコンサートに呼び、ステージの上で紹介しました。その時、私はこんなスピーチをしました。
『彼らは車を500キロ以上で走らせ、音速の壁を破ろうとしている。壁を破ってさらに大きく飛躍することを考え、実行する人が、私は好きです。』その時、ドライバーの一人が、指揮台に立った自分の写真を撮りたいというので指揮棒を貸し、写真を撮らせてあげました。たいへん喜んで帰りましたよ。
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加納
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それは面白い。あなたには観客を引きつける人間的な魅力がありますね。ところで音楽的には観客の心をつかむために、どんな工夫をされますか?たとえばコンサートのプログラムを決めるときなど。
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ナイガード
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プログラムというのは、友人を自宅に招待したディナーの、献立のようなものです。一人で食べるなら、自分の好きなものをつくればよい。しかし友人が来るとなれば、彼らの好みをいろいろ考えて、献立を工夫するでしょう。それと同じように、私は音楽で皆さんをもてなすのです。どんな音楽を演奏すれば、皆さんが興味を持って聴いてくれるかを考え、プログラムを決めるのです。
もう一つ、見落とされていた楽曲を日の当たる場所に出し、皆さんに紹介したい、ということも考えます。あなたの来てくださった、チェルニーの楽曲を演奏したコンサートはまさにこれです。
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加納
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正直いってチェルニーが交響曲をつくっていたとは知りませんでした。あなたが他にモットーとしていることはありますか?
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ナイガード
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地球上の全ての人は、音楽が好きである。私はそう信じている。
音楽家の多くは、素晴らしい音楽をどう人々に伝えればよいかわからない。高級な文化がわからない愚か者に、私が教えてやろう、とでもいわんばかりの音楽家だって少なくありません。こんな態度では人々はついてこない。
私は例えば、ギターを持ってブルーグラスの歌を奏でる。お客が喜んだところで、今度はシューベルトもこんな歌をつくりました、と演奏を始めるんです。すると気づかないうちに、聴衆の心をつかんでいます。ガチョウを肥らせるために、のどにむりやり餌を押し込めるようなことをせず、観客の皆さんが何を求めているのかをつかむのです。それを提供し、そこからうまく皆さんを誘導すれば、ローリングストーンズが好きな人達も、ベートーベンやモーツアルトを楽しんで聴くようになるのです。
音楽には人を喜ばせる力があるのです。音楽家がそれをどう伝えていくかが大切なのです。もっともっと多くの人に音楽を聴く喜びを感じて欲しいと思います。音楽は全ての人々のためにある。1割にも満たない金持ちのためにあるのではないのです。むしろ、最も困っている人達のところへ行って喜びを与えることが、音楽の使命とも思っています。チケットを高く売るようなコンサートの仕事は、私は受けません。そんな仕事はやりたくもない。だからジュピター交響楽団は赤字になっても、チケットを安く売るのです。私は今までに多くのコンサートをハーレムやサウスブロンクスで行いました。また、若い音楽家の皆さんの成長を助けるため、私はできるかぎりの力を注いでいます。
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加納
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それは素晴らしいことですね。ところで、阪神大震災の直後、日本へ行かれたそうですね。
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ナイガード
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ジュピター交響楽団のメンバーに日本人が一人います。震災の直後、日本でチャリティコンサートを開きたいと彼に相談し、関西でやることになりました。
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加納
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関西では日本のオーケストラを指揮されたそうですが、日本のミュージシャンの印象をお聞かせください。
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ナイガード
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帰国後、ニューヨークタイムスに手紙を書きました。それが記事になりましたので、紹介したいと思います。
日本からたった今帰国しました。日本の室内楽団を指揮し、5回のコンサートを京都、大阪、神戸で開いてきました。日本のミュージシャンと仕事をし、彼らの仕事ぶりは、日本の素晴らしい労働倫理を象徴していた、と感じています。
例えば初めてのリハーサルの日です。楽団員は、自分の楽譜をきちんと準備してきました。しかも彼らの楽譜には、一つのミステークもない。まる一日かかった長いリハーサルが終わるころ、楽団員全員がもっと続けましょうというのです。もちろん、続けました。私も彼らと同じ労働倫理を持つからです。
楽曲が仕上がり、コンサートでの演奏もした後でも、次のコンサート会場に行くと、さらに2、3時間のリハーサルをし、同じ楽曲に磨きをかけるのです。立派なコンサートホールの演奏会の前でも、体育館で避難所生活をしている人達に聴かせる演奏会の前でも、この姿勢は変わることはなかった。彼らと仕事をした10日間を通し、日本が世界で素晴らしいリーダーシップを取りうるのは何故か、私には分かった。
1995年4月24日/ジェンズ・ナイガード
私は彼らと仕事をして非常に激励されました。ニューヨークはまったく逆です。愚かなユニオンルールがあり、いつもリハーサルをカットして、出費を少なくしようとする。こういう環境には、私はフィットできません。この点、私は日本人的なのかも知れませんね。
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加納
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望んでいることがなにか今、ありますか?
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ナイガード
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ジュピター交響楽団の生みの親としての親心でしょうか。才能あるミュージシャンとオーケストラを維持していくには、経済的な悩みが尽きません。経済的な支援をしていただける方が、もっと増えると良いと望んでいます。
私がお金を欲しいと言っているのではありません。むしろ私はいつも、自腹を切っているのです。また、ジュピターと演奏できるなら、と無料で参加してくれるソロプレイヤーも世界各国に多くいます。なにも何億というお金を集めようとしているのではありません。
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加納
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そうですね。僕も4、5人のバンドを維持していくだけで大変なんですから、よく分かります。オーケストラとなればさぞ御苦労があるでしょう。
今日はお忙しいなか本当にどうもありがとうございました。今後ともご活躍を期待しています。
ナイガードさんとの1時間ほどのインタビューを通し、僕は寅さんの映画を見たときのように幸せな気分になり、激励もされました。確かに作られた音楽シーンに乗るのではなく、自分の信じたオーケストラを指揮し、経済的な苦しさと闘いながら15年以上も運営している。そんな状況下でも、いつも人のために役に立ちたいと考えているナイガードさんの、素晴らしい人間的魅力を感じました。
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