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点字ジャーナル91年9月号より
麻薬患者との仁義なき戦い
“出て行け!”
満身の怒りを込めたはずだったが、言葉が虚空に散った。出て行かなければならない相手は、クスリで飛んでいるので驚いたそぶりも見せない。今度は3度目である。もはや彼には、取り繕う猫なで声も、許しを乞う哀れな姿勢も残されてはいない。天国から降りてきたら、抱えきれないほどの自己嫌悪とともに、マンハッタンから出て行くばかりである。
とぼとぼと出て行った彼、フランクとは4年ほど前、看護婦ジェシーの紹介で知り合った。その頃彼らは同棲しており、友達のいない孤独な恋人に、ジェシーは自分が夜勤時の話し相手を探していたのだ。ムシのいい話である。迷惑でさえある。しかし僕には、女友達の頼みをむげに断れないという困った性癖がある。女友達に太っ腹なところを見せて、災いを招いてしまうのだ。
長身でがっしりしたフランクの初対面の印象は、悪くなかった。読書好きで、ナイーブな面も見えたが、おしゃべり好きな、どこにでもいる好青年である。彼は十2歳頃からドラッグの洗礼を受けている。だが、これは10代でマリファナに手を伸ばさないほうが少数派のアメリカでは、驚くにはあたらない。
家族もごく普通のサラリーマン家庭で、しつけが少し厳しかったそうだが、問題は何もなかった。しかし、その後彼は、コカイン、ヘロイン、LSDとエスカレートしていく。
高校を卒業後、進路が決まらないので、軍隊に入り数年を過ごすが、その間もドラッグとは縁が切れていない。その後職を転々とし、薬に溺れては病院に入り、更生しても束の間、ふたたび病院や施設に逆戻りという繰り返しとなった。
そして彼女と恋に落ち、1年ほどドラッグから遠ざかり、僕と会った。彼はその頃、建築設計事務所に勤めており、そこの世話で夜学にも通わせてもらっていた。待遇もよく、将来性もあるように思えたが、彼はその職場をなぜか嫌っていた。問題は何もないはずなのに。
そして、しばらくたってから事件が起こった。フランクが自分のアパートで倒れたのだ。ジェシーが見つけて、すぐに救急車を呼び、人工呼吸を行ったので一命はとりとめたが、リハビリテーションを含め、数ヵ月の入院・加療が必要となった。今の仕事がいやでいやでたまらなくなり、それが嵩じて精神が不安定になり、ドラッグに救いを求め、危篤状態になる。
彼は家のしつけが厳しかったためか、ふだんはとても良い青年だ。しかし、そのためか、ちょっとしたことでも極度の罪悪感に陥ってしまう。また、これはクスリのせいもあるのだろうが、被害者意識が強く、がまんができない。仕事上のちょっとしたつまずき、あるいはポルノ雑誌を拾い読みしただけで自分を責め、落ち込んでしまうのだ。そのストレスがたまるとクスリに走り、一挙に爆発する。気の毒な、なんともすさまじい人生である。
ふたたびジェシーから、“いいお友達になってちょうだい”と頼まれた。そして退院した彼から、頻繁に電話がかかってくるようになった。彼はジェシーの実家が経営するクリーニング店を手伝い始めたが、あまり気が向かない風であった。しかし、贅沢は言えないとも思っていた。
そして1年後、また病気は再発したのである。今度ばかりはジェシーも愛想を尽かし、彼をアパートから叩き出した。彼はすでに両親からも見放されており、しかたなく弟夫婦の住むロングアイランドに向かった。そこはニューヨーク市に隣接する住宅街だが、弟夫婦の世話になる負い目もあり、がっくり肩を落とした姿は都落ちの風情であった。
その後も、就職口が見つかったなどの近況を知らせる電話があり、1年もたった頃、またマンハッタンに戻りたいとの連絡があった。貯金も少したまったので、ふたたびジェシーとよりを戻したいと言うのだ。さんざん迷惑をかけておいた彼女に、どのツラ下げて会えるのかと言い返したくもあった。しかし、かわいそうでもあり、友達も僕1人しかいないわけだから、無理だと思うけれども、話だけはしてみると、つい言ってしまった。
人が良すぎるにも程があるが、約束は約束などと自分に言い聞かせ、彼女に話すと、まだ未練があると言う。驚いたことに、一緒に住むのはイヤだけど、付き合ってもいい、と言うのだ。女心はこれだからわからない。百戦錬磨の僕をしてもわからない。不可解で困ったことである。
東京ほど異常ではないが、マンハッタンの家賃も高い。そこで必然的に赤の他人どうしが一緒に住むことになる。ベッドルームだけを専有し、リビング、キッチン、バス・トイレを共有する方式だ。しかし、フランクのような前科があると、ルームメイト探しは絶望的だ。そこで僕に白羽の矢が立った。君も広い部屋に移りたがっていたから、ちょうどいいじゃない、というわけである。
彼は実に口がうまい。彼が探し出したアパートを見に行ってみると、広くて結構いい物件である。毒を食らわば皿までという心境と、これがきっかけで立ち直ればという一縷の望みもあり、同居に同意した。彼は、日本のハイヤーに当たるリムジンの運転手という職も探し出し、ぱりっとしたスーツを着こなし、過去の出来事を深く反省している風でもあったのだ。
しかし、これもあまり長くは続かなかった。ジェシーとしっくりこなかったこともあり、同僚の予約係にそそのかされて、またコカインに手を出したのだ。仕事で1週間部屋を空け、ロサンゼルスから帰ってみれば、5、6本のウイスキーとともに、ラジカセとウォークマンがなくなっていた。ウイスキーは立て続けに全部飲んでしまったらしい。白人は我々よりアルコールを分解する能力が体質的に多いそうだ。しかも大男で体力もあり、クスリやアルコールを飲むときは、死ぬ気で自虐的にやるから、すさまじい。彼は麻薬中毒であるとともに、アルコール中毒でもあるのだ。
彼が飛んでる最中に、警察を呼ぶと脅しても、素知らぬふりでシラをきっていた。しかし、しらふになったところで問い詰めると、泣きながら素直に自分の非を認め、弁償するから許してくれと言う。そこで、今度限りだと強く言い渡して、事を収めることにした。
しかし、トラブルはこのあとさらに続いた。昨年の夏、ひと月あまり日本に帰ってきたときは、とうとう仕事をクビになって、家賃を滞納していた。このときは大家が彼の言葉に乗せられて事なきを得た。
そして次の職場で、ある印刷会社に勤め始め、2ヵ月もたった頃、またもや病気が再発した。今度は大家も彼の涙にだまされず、彼を追い出さないのなら、僕もいっしょに叩き出すとさえ言った。こうしてフランクは、歓迎されない客としてロングアイランドの弟の元へ帰って行った。
今年は国際麻薬撲滅年だそうだ。しかし、その一方、日本にコロンビアからマフィアが組織的にコカインを運び込んでいるというニュースも聞いた。ドラッグ中毒患者は、クスリを手に入れるためには何でもする。今までさんざん嘘をついてきているので、嘘にも磨きがかかっている。泣き落としもお手のものだ。盗みもへっちゃら、ふだんはやさしいナイスガイだから、この落差に驚く。ニューヨークではドラッグに絡む殺人事件も多い。家族愛も友情もクスリの前ではあまりにもか弱いのだ。僕の愛する日本で、これ以上麻薬がはびこらないことを本当に祈りたいものだ。
フランクとはその後、音信不通だ。ジェシーは別の男性と結婚し、幸せに暮らしている。フランクが立ち去った部屋には、別のルームメイトが入っている。新しい同居者に取り立てて不満はないのだが、僕は現在1人で住めるアパートを真剣に探している。家賃が少々高くても、他人のトラブルに巻き込まれて、毎日毎日疲労困憊するよりも、よほどましだからである。
(了)
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