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点字ジャーナル97年3月号より
ミュージックサロン 天才ピアニストの問わず語り 5


エレキギターのパイオニア レス・ポール    


昨年の4月から僕は、ニューヨークで発行している「コロン」という日本語タウン誌にミュージシャンのインタビューを書いている。この仕事を通して知り合った人たち、とくに半世紀以上もひとつのことをやり続けてきた人たちの魅力的な人間性には感動させられることが多い。ここで「コロン」には書かなかった僕自身の感動をまじえ、少し紹介してみよう。

ある夜、レス・ポールのギターを聴きに行きたいと、一緒に歩いていた、さる美しい女性に言われた。レス・ポールがレギュラー出演していたファット・チューズデイというクラブは、もう1年以上も前に潰れたと答えたが、今はリンカーンセンター近くのイリィディアムというクラブで毎週月曜日に出演しているという。早速そのクラブに行ってみた。

その夜クラブは満員だった。ウエイターに聞くと、月曜の夜はいつも満員だという。レス・ポールは80歳を過ぎているが、ステージからジョークを飛ばしたり、ひょうきんなアクションで我々を楽しませてくれた。昔と比べれば衰えたとはいえ、演奏もまだまだ現役。一つ一つの音を大切にし、美しい音色で我々に語りかけてくる。

感動した僕はステージから降りてきた彼に声をかけた。9歳からギターを始め、13歳のとき家を出て、カントリー&ウエスタンのバンドのメンバーになり、15歳でジャズを始めたんだ、と彼は言う。そしてすぐにエレキギターに夢中になったとも言う。

もっとも、その当時はエレキギターというものが市販されていたわけではなかった。彼はそれを手作りで演奏したのである。1929年頃のマイクロフォンでは、ギターの音をうまく拾えず、演奏会場に響かなかった。ギタリストの彼にとって、それは死活問題であった。

そこで彼は、レコードプレーヤーのピックアップと母親のラジオのアンプを使って最初のエレキギターを作った。そして、レコードプレーヤーの次は、電話のピックアップを使うという具合に、次々に改良し、洗練されたモデルを開発した。

ギブソンという大手ギターメーカーのレス・ポールモデルは、今でこそ多くのギタリストが愛用しており、名器と言われている。しかし、最初彼がそれを持ち込んだ1941年には、ピックアップのついたソリッドギターなんて冗談に思われ、初めは真剣に聴いてくれなかった、と彼は笑う。このため、レス・ポールモデルが初めて発売されたのは、それから10年もたった1951年になってからだった。

ところで私、加納洋は、天才トランペッターと言われた子どもの頃、サウンド・オン・サウンドという多重録音システムを愛用し、家で録音をしていたが、このシステムの開発者も、ほかならぬレス・ポール氏であった。彼は1949年にこのシステムを開発、さらに1953年には8トラックの多重録音機も開発した。

このように彼は、ギタリストとして満足のいく演奏を目指して、エレキギターや新しい録音技術の開発に取り組んでいったのである。そして、彼の新しい演奏スタイルやレコーディングは、瞬く間に広く認められるようになっていった。彼とほぼ同じ時期にデビューし、彼と一緒に演奏した仲間には、ルイ・アームストロング、アート・テータム、レスター・ヤング、コールマン・ホーキンス、それにディジー・ガレスビーやチャーリー・パーカーといったそうそうたる面々がいる。時代が新しい音楽を求めており、彼らがそれを提供したのであった。

ところで、彼が米ポップス界に一時代を画するのは、メリー・フォードとの出会いによる。彼女は、それ以前にもビング・クロスビーなどと共演していた、才能豊かな女性であったが、1945年にレス・ポールと出会い、コンビを組み、その後結婚。そして、おしどりの名コンビとしてテネシーワルツ、モッキンバード・ヒル、ハウハイザムーン、世界は日の出を待っている、バイオコンディオス、バイバイブルースなどのヒット曲を次々に飛ばす。その鮮やかなギター演奏と歌声は、終戦直後の日本でも大いにもてはやされた。

いまもカントリージャズのスタンダードとして根強いファンを持ち、日本でもそのCDは簡単に手に入るはずである。

彼は64年間、第一線で仕事をし、大病のため、70年代にリタイアする。しかし、その後80年代に、医者の勧めもあって、また演奏活動を再開した。今も彼は、ひどい神経痛があり、毎日痛み止めの薬を飲んでいる。僕が“それは大変ですね”と言うと、彼はこう言って笑った。

“若いときに、黒人の人たちが持っている、ゆったりとした重いリズム感を身に着けたくて、ハーレムのジャムセッションによく通ったものだ。でも今はそれが簡単にできる。だって神経痛で体が動かないからね”

ちょっと危ないジョークをまじえ、自分の経験を惜しみなく語ってくれる彼に、僕は人間としてのやさしさと、衰えることを知らないミュージシャンの心を感じた。

(了)


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