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点字ジャーナル97年7月号より
ミュージックサロン 天才ピアニストの問わず語り 6


日野皓正さん   


私、加納洋は、9歳からトランペットを始め、中学生になる頃には、将来トランペッターとして自立したいと思うようになっていた。その頃日本のジャズシーンで、若手トランペッターとして大活躍していたのが、ご存知、日野皓正さんだ。今回は、その憧れのトランペッターに会いに、ニューアルバムをレコーディング中のスタジオにおじゃました。

実は、日野さんに会ったらぜひ聞いてみたいことがあった。子どもの頃買ったレコードのメロディーを今でもよく覚えているのに、曲名を忘れてしまったのだ。私は自己紹介を済ませ、おもむろにメロディーを口ずさむと、彼はすぐに「ああ、白昼の襲撃だ。B面にスネーク・ヒップが入っているドーナツ盤で、僕が20代の頃だ」と、ひどく懐かしがった。

私は実際にお会いするまでは、日野さんを幼い頃に持っていたイメージそのままに、クールで格好いい、ちょっと近寄りがたい人と思い、内心びくびくしていた。ところが実際は、とても気さくで、相手の気持ちを慮るとってもフレンドリィな方であった。

さて、彼がトランペットを始めたのは9歳の頃、お父さんがジャズトランペッターだったので、幼くして徹底した英才教育を受け、学校に行く前に1時間、家に帰ってから2時間、毎日猛練習をしたという。そして、その頃よく聴いていたのが、ハリー・ジェームス。

「私も幼稚園の頃、親父に連れられて、ハリーのコンサートに行ったことがある」と言うと、「へえ、変わった親父さんだね。僕もハリーがトランペットを吹いていた映画、姉妹と水兵とか、情熱の協奏曲なんかを観に行ったよ」とひとしきり昔の話に花が咲いた。

とにかく、父親の仕事の関係で、生まれたときからジャズは身近にふんだんにあり、しかも彼はそれが大好きな少年だったようである。彼がトランペッターとして仕事を始めたのは、13歳、立川の米軍基地でのこと。そして父親の言いつけで、あるトランペッターに弟子入りし、新宿のキャバレーでぶっ飛ばされたりいじめられたりしながら、泣く思いで仕事をしたという。

中学卒業後は、もっぱら厚木のキャンプでの仕事。なにしろ昔の徒弟制時代の下積みは、奴隷並みの扱いだった。しかし、どんなむごい扱いを受けても、決して音楽への情熱は揺らぎはしなかったという。いじめられたときは「いまに見てろ、日本一のトランペッターになってみせる」と、いつも歯を食いしばっていた。「それじゃあ、日野さんが有名になったとき、ざまぁみろ、と思ったでしょう」と少し意地の悪い質問をぶつけると、「そんなことぜんぜん思ったことないよ、みんな才能豊かな人たちだから、酒や賭け事に溺れないで、一生懸命練習すればうまくなるのに、かわいそうだなって思った」と言う。

初めてニューヨークに来たときの印象は、「もう夢みたいだった」と楽しげに当時を振り返る。マイルス・デイビスをハーレムの「バロン」というジャズクラブに聴きに行ったときは、そこにアート・ブレーキーがいて、ビールをおごってくれた。当時は1ドル360円の時代で、しかも500ドルまでしか日本から持ち出せなかったので、本当に嬉しかったのだそうだ。

ニューヨークに永住しようと思ったのは、素晴らしいミュージシャンがたくさんいる中に自分を置いて、実力を試したかったため。もう居ても立ってもいられなくて、ニューヨークに来てしまったという。しかし、無鉄砲にも、何の準備もしないで飛び出してきたのではあるが、ホテルで仮住まいをしているときに、ビル・エバンスやジャッキー・マックレーンとの共演の話が舞い込み、仕事は最初から順調だった。

また、ファイブ・スポットというジャズクラブで演奏していると、チャールス・ミンガスやアート・ブレーキーが聴きに来てくれ、自分がすごい環境の中でプレイしていることが実感でき、すごく興奮したとも言う。もっとも慣れてくると、こちらのプレイヤーがやたらリラックスしてプレイしているので、迫力不足にも思えた。なにしろ日本から特攻隊精神でやってきたから、そう思ったんだけど、そのときは何もわかっていなかったんだね、と彼は笑う。

1年くらいしたら、彼らはリラックスしていても、テンションが上がってくると、素晴らしい演奏ができることに気づく。それから自分も一生懸命リラックスしようと思って努力しているが、なにしろ性格が性格だから、なかなかできない、と朗らかに笑った。

彼はサッチモ(ルイ・アームストロング)のように、1つの音を吹いたり、あるいは歌ったりすると、もうそこに人生が現れる、そんなミュージシャンを目指しているという。どんな音楽をやってもいい。僕がトランペットを吹いて、音に包容力があって、聞いている人たちの疲れを取ってあげて、ニコニコッとしてもらえたらいいと思っている、と彼は少年のようなすがすがしさで語った。

これからも日野さんには、たくさんの人達を楽しませる包容力のあるトランペッターとして活躍してもらいたいと思っている私であります。

(了)


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